HACHI 約束の犬 海外

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アメリカにも広がり始めた、ハチ公の人気

日系アメリカ人3世であるプロデューサーの
ヴイッキー・シゲクニ・ウォンは、
1980年代の半ばに初めて日本を訪れた。

犬好きの彼女は、渋谷のハチ公の銅像に興味を抱き、
それにまつわるストーリーの美しさに魅せられ、
後に自身の犬にもハチコウと名付けている。

彼女のハチコウが亡くなった時、その悲しみを活力に変えて、
ハチ公のストーリーを映画にして世に知らしめようと決意する。

彼女は、まず友人でもあるベテラン・プロデューサーの、
ポール・メイソンを口説き落とし、映画化実現を目指す仲間に加えた。

その後、脚本にステイーヴン・P・リンゼイを起用して、
ハチ公の物語を映画用に書き直した。

実は、ハチ公の生涯はもはや、
日本だけで知られている物語ではない。

アメリカでも、2004年に2冊の子供向け書籍が出版されている。

パメラ・S・ターナー著「Hachiko − 心に生きつづけるハチ公」と、
レスリー・ニューマン著「Hachiko Waits」だ。

 

その本が広く読まれると共に、アメリカの愛犬家の間で、
秋田犬が人気を呼んでいる。

彼らは自分の犬にHachiやHachikoという名前をつけているという。

そもそもアメリカで秋田犬が知られるようになったきっかけは、
ヘレン・ケラーだった。



1937年から3度に渡り、福祉活動のため、日本を訪問したヘレンは、
秋田犬を所望し、実際に“神風号”と命名された子犬が贈られた。

これが、海外に渡った秋田犬の第1号となった。

また、ヘレンは1948年、渋谷駅のハチ公像を訪れている。

ヴイッキー・シゲクニ・ウォン プロフィール

ヴイッキー・シゲクニ・ウォン/プロデューサー

ロサンゼルスで生まれ育った日系3世のアメリカ人。

カリフオルエア大学ロサンゼルス校惣一む理学を学び、
卒業後25年間、ファッションのデザインおよび販売、
女性誌の編集、広告、マーケティングなど、クリエイティブな仕事に携わる。

また、全米屈指の眼科医療センターの共同オーナーとなり、のちに売却。

このセンターは視力のレーザー治療を展開し、
タイガー・ウッズをはじめとする有名人など何千人もの手術を行なっている。

2003年、プロデューサーのポール・メイソンと手を組み、
ハチドッグ・プロダクションを設立。

20年前に日本を旅した折に、東京の渋谷駅前に建つハチ公の銅像を目にし、
飼い主の死後も帰りを待っていた忠犬の物語に心を奪われた彼女は、
帰国後に日本犬を飼い、ハチ公と命名。

本作には彼女自身のハチとの16年間に起こった実話も含まれている。

ハチドッグ・プロダクションズでは、本作のほかにも数本の動物ものや、
日本のシンドラーと称される杉原外交官の伝記映画などを企画している。

シンプルなストーリーに込められたメッセージ

「この脚本を読んだ時、私は即座にこの作品の持つメッセージの力を理解し、
ここに描かれている誠実さや約束、無償の愛に、
おそらく膨大な数の人々が共鳴するだろうと思いました」

と、プロデューサーのビル・ジョンソンは語る。

普遍的なメッセージを持つ作品作りに関わることで、
出演者やスタッフたちもまた、この一人の男と一匹の犬が織りなす物語が、
自分の人生とどのような接点があるのか、あれこれと考えるようになった。

ジョーン・アレンは言う。

「私たちが暮らしている世界は、ものすごいスピードで変化していて、
歳をとればとるほど、時間はもっと早く流れるように感じるわ。
いつだって次から次へと動き続けている。
そこにこの物語の素晴らしい教訓があるのね。
時間をかけて、一歩引いて、愛する人と本当の絆を結ぼうということ。
それから、何もかもが使い捨てではないのだということも。
私たちは使い捨て社会に暮らしているわ。
でも、この物語は長く残るものについて語っているの。
ハチは、あきらめることなく自分の愛するものを待ち続ける。
それは、誰でも自分やその人生にあてはめることの出来る素晴らしい教訓だわ」

リチャード・ギアは語る。

「ハチは待ち続けている。それは言葉にはつくせないものです。
心の奥のとても深い部分で感じる愛、
この愛には始まりもなければ終わりもないという思い。
この物語には何かがあります。
誰もが持ち合わせている感覚に、とても繊細に訴えかけてくるのです」

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